「きみは、ほんとうは、いい子なんだよ」

もし、あの時、小林先生のような大人に出会っていたら。黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』を読むたびに、私はそう思わずにはいられない。この本は、一人の少女のユニークな子ども時代を描いた物語であると同時に、教育の本質、そして真の多様性とは何かを問いかける、力強い希望の書だ。

主人公のトットちゃんは、好奇心旺盛で落ち着きがないために、入学したばかりの小学校を退学になってしまう。しかし、彼女が次に出会ったトモエ学園の小林先生は、彼女を全く違う目で見た。初対面の日、先生はなんと四時間もの間、トットちゃんの話をただひたすら聴き続け、最後にこう言うのだ。「きみは、ほんとうは、いい子なんだよ」と。

この一言こそが、トモエ学園という奇跡の空間を創り出したすべての始まりだった。小林先生は、一人ひとりの子どもの個性を、欠点や長所という区別なく、丸ごと「その子の面白さ」として受け止めていた。その絶対的な肯定の眼差しがあったからこそ、トモエ学園は、誰もが安心して自分らしくいられる場所になったのだ。

その空気は、身体に障害を持つ高橋くんとのエピソードに象徴されている。彼のために特別なクラスが用意されるわけでも、誰かが「助けてあげなさい」と指示するわけでもない。運動会で木に登るのに苦労する彼を、皆が自然と応援し、自力で登りきったときには心から共に喜ぶ。そこには、「障害者」と「健常者」という区別も、助ける側と助けられる側という上下関係もない。ただ、デコボコで、それぞれに違う個性を持つ「仲間」がいるだけなのだ。

現代社会では、多様性やインクルージョンという言葉が叫ばれるが、それは制度やルールで実現するものではないのかもしれない。その根底には、小林先生がトットちゃんに示したように、まず一人ひとりを「認める」こと、そしてその違いを面白がり、尊重する温かい眼差しが必要不可欠なのだ。子どもを型にはめるのではなく、ありのままを肯定すること。その土壌があって初めて、子どもたちは互いの違いを受け入れ、自然に助け合う関係を築くことができる。

私たちはつい、子どもを「正しい道」に導こうとして、その子らしさを矯正しようとしてしまう。しかし、この本は教えてくれる。教育の第一歩は、評価や指導ではなく、「認める」ことなのだと。その眼差しこそが、子どもの中に自己肯定感を育み、他者への優しさを芽生えさせる。トモエ学園は、すべての子ども、そしてかつて子どもだったすべての大人にとって、私たちが目指すべき未来の姿を示してくれる、永遠の教科書だ。

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