地図には載らない道を、この本と歩いた

四国八十八ヶ所、千二百キロの巡礼の旅。その出発を前にして、私は一冊の本を手に取った。上原善広さんの『四国辺土』。それは、単なるガイドブックでも、美しい紀行文でもなかった。華やかな札所の影に隠された、四国の「辺土」――被差別部落やハンセン病療養所、そして名もなき人々の祈りの跡をたどる、壮絶なノンフィクションだった。正直に言えば、これから始まる旅への期待に、少しだけ重い影を落とすような読書体験だった。しかし、今なら断言できる。この本を読まずに遍路に行くのと、読んでから行くのでは、見える景色が全く違っていたはずだ。

私が歩いたのは、アスファルトで舗装された、多くの人が行き交う遍路道だ。しかし、この本を胸に抱いて歩くとき、私の目にはもう一つの道が見えていた。かつて、宿にも泊まれず、差別と偏見の眼差しに耐えながら、名もなき「草遍路」たちが踏みしめたであろう、地図には載らない道だ。上原さんの緻密な取材によって浮かび上がる、遍路道沿いの「路地」の歴史。それは、これまで私が知らなかった四国の、そして日本のもう一つの顔だった。

そして、この旅で、私には奇跡のような出会いがあった。本書に登場する、「歩き遍路の神様」とも呼ばれる、ひろゆき氏に実際にお会いすることができたのだ。本の中で、ひろゆき氏は、障害を抱えながらも三十年以上、ただひたすらに四国を歩き続ける求道者として描かれている。実際に言葉を交わした彼は、まさに本から抜け出してきたかのように、静かで、しかし揺るぎない何かを宿した人物だった。

もし、私がこの本を読んでいなければ、ひろゆき氏にお会いしても、その存在の重さに気づけなかったかもしれない。彼が歩き続けるその一歩一歩が、本書で描かれた名もなき草遍路たちの祈りと、地続きであることを理解できなかっただろう。この本は、私の旅に、歴史という深い奥行きと、人々の祈りという縦糸を与えてくれたのだ。

『四国辺土』は、光の当たる場所だけでなく、その下に広がる影をも見つめることを教えてくれる。そして、その影の中にこそ、人間の真の祈りや、生きることの業が刻まれていることを示してくれる。この本があったからこそ、私の遍路は、単なるスタンプラリーではない、血の通った「巡礼」になった。これから遍路道を歩くすべての旅人に、そして、この国の知られざる歴史に関心を持つすべての人に、心から勧めたい一冊だ。

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