身体という牢獄からの脱出

『ゴースト・ボーイ』の主人公マーティンが閉じ込められていたのは、鉄格子のない、しかし決して抜け出すことのできない「身体」という牢獄だった。彼の物語は、肉体的な自由を完全に奪われた人間が、何を支えに自己を保ち続けることができるのかという、壮絶な精神の記録だ。

テレビから流れる同じ子ども向け番組を、来る日も来る日も見せられるだけの日々。思考以外、できることは何もない。普通なら、とっくに精神が崩壊してしまいそうだ。しかし、マーティンは思考することをやめなかった。彼は想像の中で時間を旅し、機械の仕組みを考え、太陽の動きで時刻を推測した。彼の唯一の自由は、頭の中にあったのだ。

この物語を読んで、私は「生きる」ことの本質について考えさせられた。私たちは普段、「生きる」ことを、体を動かし、活動することと同一視しがちだ。しかし、マーティンの存在は、たとえ体が動かなくても、思考し、感じ、希望を持つ限り、人は確かに「生きて」いるのだと証明している。彼の精神は、動かない肉体よりも、よっぽど活動的で、自由だったのかもしれない。

そして、彼がコミュニケーション手段を手に入れ、再び世界とつながった時、その蓄積された思考は爆発的な力となって彼を突き動かす。学び、働き、そして愛する人を見つける。彼の再生の物語は、人間の精神力が持つ、底知れない可能性を見せてくれる。この本は、どんな暗闇の中にあっても、考えることをやめない限り、希望の灯は消えないのだと、力強く教えてくれる。

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