沈黙とお茶が教えてくれた、本当の豊かさ

スマートフォンを片手に食事をし、テレビの音をBGMに会話をする。私たちの日常は、無数の「ながら」と、絶え間なく流れる言葉や情報で埋め尽くされている。私もその一人で、常に何かをしていないと落ち着かず、静けさや沈黙をどこか気まずいものとして避けてきたように思う。枡野俊明さんの『美しい人をつくる「所作」の基本』は、そんな私の心に、静かだが確かな一石を投じてくれた。

この本が教えてくれるのは、難しい修行ではなく、日常の些細な行為を丁寧に行うことの大切さだ。その根底には、「今、この場で、目の前のことに命を懸ける」という禅の精神がある。情報という濁流に身を任せるのではなく、自らの意思で流れから降り、足元を見つめ直す。そのための具体的な「所作」が、この本には詰まっている。

特に私の心を捉えたのは、「ゆっくりお茶を飲む」ことと「言葉を少なくする」ことだった。この二つは、一見すると別の行為だが、実は深くつながっていると気づかされた。

まず、本に倣ってスマートフォンの電源を切り、ただお茶を飲むだけの時間を作ってみた。急須から立ち上る湯気の香り、湯呑みを持つ手のひらの温かさ、喉を通るほのかな甘み。普段は気づきもしなかった豊かな感覚が、身体中に広がっていく。何にも追われない静かな時間の中で、私は初めて、自分がどれだけ多くの情報に感覚を麻痺させられていたかを知った。

そして、この静けさは、言葉との向き合い方にも変化をもたらした。私たちは沈黙を恐れるあまり、意味のない言葉で空間を埋めようとしてしまう。しかし、お茶を飲むあの静謐な時間のように、言葉のない「間」にこそ、豊かなコミュニケーションが宿るのではないか。この本は、本当に必要な言葉だけを心を込めて選び、相手の言葉を遮らずに静かに聴くことの美しさを教えてくれる。雄弁な沈黙は、深い信頼関係を育む土壌なのだ。

私たちは、効率やスピード、情報の多さを追い求めるあまり、人生の本質的な味わいや、人との真のつながりを見過ごしているのかもしれない。この本が言う「美しい人」とは、外見ではなく、静けさの中に身を置き、一つの行為や一つの言葉を大切にできる、内面の豊かさを持つ人のことだろう。

これからは、せめて一日一度は「ながら」をやめ、一杯のお茶と真剣に向き合う静かな時間を作りたい。そして、その静けさの中で、言葉の重みを感じ、沈黙の価値を知る人間でありたい。それが、情報に流されることなく、自分自身の足で美しく生きていくための、最初の一歩だと信じている。

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